2010/05/30

山下史守朗の徒然随想 “いま”政治に思うこと(平成22年5月)

~是非ともお読み頂きたい、山下史守朗の政治所感です~

「閉塞感を打ち破れ」

 私山下しずおは7年前、27歳で愛知県議会議員に初当選させて頂いた。日本の政治を変えたい、日本社会を覆う重苦しい「閉塞感」を何とか打ち破りたい、そんな想いで私は政治に志を立てた。
 子どもの父親となった今、決して自分自身のエゴではなく、例え自らが死して後の世のことであっても、子ども達のために日本という国をこういう国にしたい、こういう国にしなくてはという強い想い、理想というものを改めて強く抱いている今日であるが、残念ながら、この7年で日本の政治は一層混迷を深めつつあると言わざるを得ない。
 7年前当時、政治を変えるということは、即ち永年の政権与党である自民党自体を変えるということに他ならなかった。そこで、私は自民党に籍を置き、私の政治信条である「子どもや孫の世代までを考えた未来に責任を持てる政治」の実現に向けて、これまで微力ながら全力を傾注してきた。
 しかし、残念ながら自民党が変革を果たす前に、昨年の衆院選で、ついに政権交代という形で自民党は下野することとなった。こうなったことは、民主党ががんばったというよりも、ひとえに自民党の責任で あり反省すべきであると思う。「自民党よ、変われ!」との国民の声にいかに応えるか。
問題はどう変わるかである。自民党には良いところもあれば悪いところもある。変えるべきところと変えざるべきところの見極めが大切であろう。

「自民党は原点に回帰すべき」

 私は、第1に自民党は原点に帰るべきであると思う。原点とは即ち保守政党としての原点である。
 自民党の立党宣言や綱領、党の使命等をご存じない方は是非自民党のホームページからご覧頂きたい。(自民党ホームページの「党基本情報」をご覧下さい)
  自由民主党のホームページ     立党宣言・綱領・党の使命等への直リンク
 昭和30年のその内容は大変素晴らしいものであると同時に、自民党が立党に掲げた国づくりの理想へは未だ道半ばであるということをご理解頂けるだろう。
 ところで、最近は新党結成ラッシュの様相であるが、その多くは保守政党である。やはり今の自民党が保守本流の政党としてしっかりとメッセージを打ち出せていないことが、新党が乱立する大きな要因となっているのではないだろうか。
 新党の中には私と志を同じくする理念も多く見受けられるが、私自身は、自民党に身を置く者として、今しばらく自民党再生に微力を尽くしたいと思う。

「将来像を提示し、大胆な改革を」

 第2に政治は国の在るべき姿、社会の将来像を国民に提示し、それを成し遂げる強力なリーダーシップを発揮することが重要な使命であるが、自民党は、長期に亘る景気低迷の中800兆円に上る国債残高を積み上げ、少子高齢化が進む社会に対して、国民が納得し希望と安心を抱くことができる “日本の将来像”を十分提示することができなかった。ここ十数年来、国民が望んできた“社会の閉塞感の打破”“将来不安の解消”を成し遂げることができなかったのだ。この点に自民党は最も大きな責任があると私は思う。
 私が政治家となって7年、我が国の状況が全く好転しない苛立ちは、多くの方と共有できるものだろう。
 財政健全化と経済成長、どちらを優先させるかの議論がある。もとより二者択一ではないが、日本はこれまで景気のためと公共事業を続け、財政赤字を膨らませてきた経緯がある。減税やバラマキだけでは 景気は回復しない。
 根本的方策は、逆に増税してでも財政健全化、少子化阻止、持続可能な社会保障制度の再構築という3本柱に国民が納得できる将来の見通しを示し、安心感を与えることだと私は思う。でなければ国民は財布の口紐を決して緩めないだろう。結果、景気回復、経済成長も成し得ない。まずは財政健全化の前提となるプライマリーバランスの黒字化を始め3本柱に道筋をつけ、将来不安を解消すること。それが本当の景気回復、経済成長の前提なのである。
 財政は、高齢化を反映して福祉等の義務的経費が自然増加を続けている。愛知県も本年度の県税収入では義務的経費の3分の2しか賄えず、不足分は県債等で賄わざるを得ない状況だ。今必要なお金を将来からの借金で賄うのは基本的に間違っているし、義務的経費が投資的経費を圧迫し愛知の発展に不可欠な事業にも支障が出ている。この先ずっと増加が見込まれる社会保障費については消費税増税・目的税化等による安定財源確保を図って、成長のための投資的経費が圧迫されないようにすべきである。その上で、財政健全化と経済成長の両立を目指すべきだ。

「地域利益誘導型 VS ポピュリズム」

 第3に、もういい加減、地域利益誘導型政治を改めなくてはならないだろう。しかし、現実にはこれがなかなか難しい。国民の理解なしにはできないことだ。
 今「無駄遣いをカットしろ」というのが国民大半の声であり、総論として異論を唱える人はいない。
 しかし現実はというと「無駄遣いをカットしろ」と言った同じ人が「でも私の地域のこの道だけは必要だ」と言う。政治家も国民も、総論賛成各論反対だ。
 議員というものは、地元の有権者からそうした要望の声があれば、当然それを実現しようとする。仮にそれが他から見て一般に無駄遣いと思えるようなことであっても、である。もしそれを無駄遣いだと言って“仕事”をしない議員は地元で支持されない。選挙に落ちるのである。
 一概に保身のためと議員を責めることはできない。地域の実情を行政に反映させるのは議員の重要な役割であるし、地域の声を聞き地元のために一生懸命やっている結果なのである。しかし、この行き着くところは、北は北海道から南は沖縄まで、陳情の嵐、予算の奪い合い、ひいては際限ない予算の膨張を招く結果となる。
 これは全ての地方の国民を巻き込んだ構造的問題であり、自民党とは何かといった時の一つの答えである。自民党とは政治家だけでなく国民、業界、官僚等の総体がシステムとして機能してきたのであり、国民自身が考え方、投票行動を変えない限り、地域利益誘導型政治はなくならないのである。
 ところで、今の世の中を悪くしているものを問うとマスコミを挙げる人が少なくない。マスコミの影響力は絶大だ。そこで政治にもポピュリズムの弊害が出てくる。特に小選挙区制が導入されてその弊害は顕著となった。ポピュリズムとはマスコミが先導する“世論”(を形作る実体のない“大衆”)に対し、(仮に国益に反しても)安易に迎合し人気取りを行う政治姿勢だ。
 鳩山首相の言動、普天間問題の顛末はどうだろうか。
 また、我が国は永年その年の税収でその年の歳出が賄えず、将来世代から毎年多額の借金をして国を運営する異常な事態を続けているにも関わらず、感覚が麻痺し、今の世代とこれから生まれる将来世代の負担が極めて不公平となっているのに、選挙にマイナスだからといつまでも増税を先延ばしてきたのも同様だ。
 最近は「国民目線」を唱える議員が多い。「国民目線」「市民感覚」を常に忘れないことは大切なことだが、それ以上に、政治家には大局的見識、「国家観」こそが重要だ。政治家も国民も、そしてマスコミも、今一度真の国益・在るべき国家像を真剣に論じるべき時だ。

「創意工夫が活きる真の地方分権時代へ」

 地域利益誘導型の政治を劇的に変えることができる方策が一つある。「地方分権」だ。地方のことは地方が自ら決め自ら努力する、国は外交・防衛に代表される国家としての課題にのみ対応するという住み分けだ。
 これなら、地域利益誘導型の無駄遣いを国と地方の間では防止できる。また、世界一速く高齢化が進む我が国は先行するモデルのない時代に突入した。モデルのない時代は、親亀転べば皆転ぶ中央集権ではなく、社会の多様な主体が様々な挑戦と失敗、試行錯誤を 繰り返して社会をリードする“多頭型”の分権社会でなくてはならない。
 今、世界は激しい地域間競争の時代に突入している。
 愛知県はオーストリア一国に値する経済規模、世界25位のデンマークを上回る。新興国として注目される東南アジアの国々をも上回っている。愛知は本来アジアや世界との競争を十分に戦える存在なのだ。
 しかし、現状は、愛知の生んだ富は国が吸い上げ、それを地方にバラ撒くという構図である。ある程度は仕方ないが、今のままでは日本全体が沈んでいく。日本の行政はロスが大きすぎるのだ。地方が自助努力して税収が増えても国からの交付税がその分減るから意味がない。地方の意欲を妨げる仕組みも問題だ。
 世界的な地域間競争が激化している今日、世界と戦って勝ち抜いていける強い地域をつくっていかなくてはならない。30年以上に亘り「ものづくり日本一」の厚い産業集積を持つ愛知は、日本の元気をリードできる地域である。そのためには愛知の生んだ富を愛知に再投資できる仕組みこそが重要だ。
 地方分権は究極の行政改革であり、今こそ思い切った分権改革が必要だ。
 藤川政人さんには愛知の代表として、国政においてなんとしてもこれを成し遂げてもらいたい。共に閉塞感に満ちた国の状況を打破し、希望と安心を抱ける社会を実現したいと切に願う。

   平成22年5月下旬                 愛知県議会議員 山下史守朗  記す


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